2025.1.1
- Tomomi Abe
- 1月1日
- 読了時間: 4分
馴染みの店でマスターとお世話になっているバイトのHくんと3人でこぢんまりと新年を迎えた。それはそれは穏やかな年越しだった。
ふとマスターが店のテレビを『ゆく年くる年』からチャンネルを変えて、新年早々クラブで踊りまくる大人達が映る番組を流し始めたので思わず笑ってしまった。CMを挟まずに延々と流れ続ける往年のディスコソング。早くもおおよそ半年分のディスコを浴びた気持ちになって、今年は「フィーバー」する一年になりそうだな、なんて思ったりもした。よくよく考えれば幸先が良さそう。フィーバーする精神、大切。
私の地元には”元朝参り”という、元旦である朝のみならず年明け直後の真夜中から神社に初詣に参る風習が存在する。お店で年越ししたあとマスターと一緒に元朝参りするのが恒例行事となっていて、3人でタクシーに乗り込み山の上にある神社へ向かった。
到着すると境内にはまあまあな人数の参拝客ですでに賑わっていて、中には高校生らしき集団もいた。「こんなに若い人たちがいるとか、普段どこに存在しているんですかね」「元朝参りか夏祭りでしか見ないですよね」とHくんが笑いながら言う。本当にそうだと思う。普段街中を歩いていて、若い人たち、つまりは学生たちで賑わっているところを見るのはなかなかない。帰省とかのタイミングで集まっているようにも見えるけれど、むしろこういうタイミングでないと若い人が集まらなくなってしまったのだなぁと思ってしまった。タクシーの運転手さんも「今年は人通りが少ない」と言っていた。
無事に初詣を済ませて、同じく境内にある茶屋に入る。
マスターはぬるめのワンカップを、Hくんと私は温かい缶のお茶で乾杯。3人でラーメンを食べた。屋内とはいえ年季の入った造りなので途端に底冷えしてきて、ストーブをつけているとはいえ外の寒さとさほど変わりない。そんな中で食べる、深夜1時のラーメンの美味しさよ。暖かくて優しい味が染み渡り、白い湯気が立ちながら「はふはふ」しながら食べた。普段こんな時間にラーメンを食べるなんて全くなかったこともあり、最近食べたどんなラーメンの中でも一番美味しかった。
帰宅して、朝起きてお餅を食べ、二度寝ののち、ポストを開けると年賀状が届いていた。歌人である高校時代の友達からだった。誰かから年賀状をもらえるなんて何年ぶりだろうか。
達筆で丁寧な宛名の筆跡になんだか嬉しくなった。言葉を添えられるのも嬉しけれど、もしかすると自分の名前をその人の字で書いてもらうのも実は嬉しいのかもしれない。そしてそれは名前を呼んでもらうことに似ている。今年はもっと名前を呼んでいこうと密かに心に決めた。
昨年は人に助けられてばかりの一年だったけれど、私は昔から人に頼ることが苦手だ。
大抵はどうしようもなくなって、ギリギリダメかもしれないところで半ば仕方なく助けを求めるのが通常運転である。そうやって実際に助けを求めることができたのはごくわずかでしかなかった。
何気ない連絡、もとい他愛のないやり取りができない。電話だって、ましてやLINEだってそう。長年それらに対して憧れに似た感情を抱くこともあった。でも、今年は数少ない友達やお世話になっている人へちょっとずつ頼っていきたいと思う。何気ないやり取りが気軽にできる友達の存在ほど貴重なものはない。
そして楽しい気持ちを忘れずに、どれだけ真剣に物事へ向き合うことができるだろうか。
自分のすべてを使って生きていきたいと強く思う。あえて例えるなら一等星みたいにバチバチに光っていたいのかもしれない。そうすれば遠く離れている人にも私が元気にしていることを伝えられるから。同時に生活は、人生はマラソンのようだともよく言ったものだ。なるべく心身ともに健康でいたいと強く思っている。
昨日、年越しする前に書いた日記のことをちょっと思い返して、暗いなと改めて思った。けれど、それもまごうことない本心で、モヤモヤしたままでなく少しでも言葉にして書き残せて良かった。澱みを2024年に置いてこれた。あとは心置きなく自分のやるべきことに集中できる。黙々とやっていくぞ2025。

自分のサイトの他にPARK GALLERY公式noteでもエッセイ『もしもし、一番星』を連載中です。
今年も頑張って更新していくので、そちらもどうぞよろしくお願いいたします。